皆さんは、大切な家族を近くで見たいけれど、仕事があって叶わず切ない想いをした事がありますか。
私が「お絵かきクリエイター」になった理由の一つはもちろん「絵を仕事にしたい」ですが、もう一つは「在宅で仕事をしたい」というのがありました。
お絵かきクリエイターとして学び始めて6年経ちましたが、その頃、高齢の父を我が家に引き取りました。
そして父は先日、肺炎のため88才11か月の人生を終えました。
その父との想い出を今回は少し語るので、良かったら聞いてやってください。

【在宅勤務で介護する】
80歳を過ぎてから、不安を訴えることが増えて来た父。
豪雨災害、足腰や記憶の衰え、少し認知症も入ってきて、病院に行っては不安を訴えていたのでしょう。安定剤や痛み止めもかなり飲んでいました。
当時私は営業の仕事をしていたので父のところに行けるのですが、その分仕事量も増え、結果自分も体調を崩しました。
そんな時「お絵かきムービー」に出会ったのです。
自分のずっと持ち続けていた絵が好きな気持ちを満たしてくれる、しかも在宅なら父のお世話もできる、これは「最高のタイミング」で「最高の条件」の出会いだったのです。
【父の思い出】
父は満鉄に務める祖父(父の父)の元、5人兄弟の三男として生まれました。

(写真館で撮影長男はお坊ちゃんのような燕尾服ですね。右が父、年子の4男と同じ大きさ・・。)
昭和一桁の父はで、頑固で短気、優しい言葉も滅多にかけることの無い人でした。
私はよく口答えしては怒られたり、押し入れに入れられたり・・・💦
高校生の頃、父と母が上手くいかなくなり、家庭は破綻しました。
私たち五人の子供も大変な思いをしたのですが・・・。

けれど、父が義理人情に厚く責任感の強い人だと感じるようになったのは、大人になってからです。
父は私に初孫が産まれるとびっくりするほど可愛がり、本当は家族思の愛情深い人だったんだと気がつきました。
うちの子供たちは父にとって初めての孫娘、孫息子だったので、しょっちゅう来ては遊びに来ては一緒にお出かけして、美味しいものを食べたり、おもちゃを買ってくれました。
だから二人ともおじいちゃんが大好きで優しい子に育ったので、同居に、全く反対はしませんでした。
お盆、お正月、連休、いつも父の家に集まっては、スーパーに行って買い物して、子供や孫にたくさん食べさせてくれました。それが父の生き甲斐で楽しみだったのでしょう。

孫はどんどん増えて、なんと十人に!のちにひ孫も三人生まれます。
お盆やお正月は、座るところがないくらいの人数がいつも集まるようになりました。
80歳を超えるとだんだん体もしんどくなり、不安を訴えることが増え、これは一人暮らしも限界かな、というところで、私の家に父を引き取り一緒に暮らすことを決めました。
一人が長かったので、家族四人の生活に初めは戸惑いもあったようですが、父のために空けた部屋と家族との生活、ご飯の心配も無くこちらで通う病院も決まって、安心して生活してくれるようになりました。

【カラオケと、食べることが大好き】
それから、週2〜3日は病院に連れて行き、家から近いデイサービスに通い始めます。
デイサービスではいつも大好きなカラオケを歌い、「歌が上手いですね〜」と、いつも褒めてもらうので、機嫌よく通いました。
初めは週一で。しばらくしてから、週2回に増やしました。

食べることが大好きな父で、喜んでたくさん食べてくれるので、私はいつも「父に何を食べさせようか」と考えていました。
おやつも好きで、買い物に行くとカゴにたくさんのお菓子を投げ込みます。
だから順調に体重も増えて、ちょっと太ってしまったんですけどね。
【最後の2〜3年は、しんどいことが多かったけれど・・・】
2〜3年くらい前から、足腰や認知機能が悪くなってきて、冬に風邪を引くたびに長引くようになります。
だんだん一人で置いておくのが難しくなって来たと感じました。
そして、去年は病気をきっかけに要介護4になり、我が家でお世話するのは難しくなって、泣く泣く施設に入所してもらうことを決めたのです。
本当は帰りたい。でも歩けないので我慢してくれて。
それでも月に2泊3日、家に連れて家族で過ごし、みんなにも会いにきてもらいました。

(人数が増え過ぎて、なかなか一度に集まるのが難しいので、イラストにしてみました)
【2月末に緊急入院】
特養から、父が救急車で運ばれたとの連絡。
一時はどうなるか分からない状況でした。
なかなか減らない痰の吸引がとてもしんどそうで可哀想で涙が出ます・・・。
なんとか病院の方の手厚い処置で、骨と皮だけになりながらも生きてくれていました。
やっと痰が落ち着いてくると、私の顔を見るたびにガラガラに枯れた声で、「なんか食うもん持ってきたんか」「腹へった」「いつ退院できる」と言うのに「もうちょっと頑張って食べれるようになったらね」と励ましました。
でも実際は、肺炎が治っても嚥下機能が低下していて食べるのは難しく、そのままでは持たないので、中心静脈カテーテルで栄養を点滴することに。
栄養点滴が入ると顔色も良くなって、リハビリ病棟に移って言語聴覚士さんと、嚥下の練習が始まりました。
「飲み込む練習頑張ったら、食べれるようになるよ。そしたら帰れるよ」と励ましたら、ウンウンと頷きます。
ある日には、言語聴覚士さんと「パタパタパタ」とか言いながら一生懸命練習するのが見れて、なんか希望が出てきて嬉しかったなあ。
1日にプリンかヨーグルト一個くらいだったけど、少しでも口から物が食べれるようになったのが嬉しくて、お店で色々選んで持ってい来ました。
「お父ちゃん、プリン食べさせてもらってね」というと、またウンウンと頷いてくれていましたが、しばらくするとまた肺炎を起こしてしまいました。
今回は内臓に出血しているとのこと。止血の点滴を試みてくれて、少し落ち着いたようにも見えました。
でも先生が、「危ない状態なのでみんなに会いに来てもらった方がいい」と言われました・・・。
翌日は少し安定した(ように見えた)のか、誰か来てくれる度に、カテーテルを抜かないように手袋をはめられた手を、ベットの上で振っては見送っていました。
そしてその日、4月11日の夜、静かに88歳11か月の人生を終えました。
【お父ちゃん、長生きしてくれてありがとう】
7人兄弟で貧しく、早くから造船の仕事で汗水流して働いた父。
五人の子供を持ったけれど結婚生活は破綻して辛い思いもした父。
でも、子供や孫を愛し、愛されて、晩年の父の人生は幸せだったと思います。
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お父ちゃん、長生きしてくれてありがとう。
たくさん親孝行させてくれてありがとう。
命をくれて、ありがとう。
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【今、父の人生を思う】
お絵かきクリエイターとして、人生ストーリーの描き方を学び作ってきた者として。父の人生もまた、一人の人間としての幼い時代、若い時代があったのだと、アルバムを見ながら想いを馳せています。
私の見ていた最近の父は、年老いて子どものようになってしまっていたけれど、
アルバムの中の父はまだ若く、ビシッとした角刈り。

祭りが大好きで、いつもちょうさい(だんじり)を担いでいた若いくはつらつとした姿、その全てがとても愛おしく感じます。

一人の人の人生には、その時代を懸命に生きてきた想いが、歴史が詰まっている。写真の中の父を見ながらそんな事を感じて、また感傷的になり「あ、大事な写真はやぱりプリントアウトしとかなきゃ。」と思ったりして、日々の寂しさを埋めているのでした。
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